仕事に夢中!?不労所得の質もスピード

仕事に夢中!?不労所得の質もスピード

現在30代後半である私の仕事は、PC系のサポート業です。システム的な物から、ネットワーク、各種デザイン業務とパソコンに付随する業務全般と言ってもよいほどです。

 

小学生から機械、配線系が大好きだったのか、ゲーム機とコンポをつないだりして、音響にこだわる学生生活でした。

 

学生の頃はパソコンはまだ超高額機器で、50万ぐらいしてましたし、当然今のように高速インターネット以前にインターネットという言葉がまだ世間に認知されておらず、一部の詳しいパソコン使用者のみの世界で通じる程度でした。

 

パソコンも買うより、自分で組んだほうが早いということで、よく8時間かけて秋葉原に通ったものです。

 

 

 

当時は、今のアキバ形態ではなく、萌え文化もなく、電子部品の街でした。インターネット電話線でようやくつながるかの速度しか出ず、もちろん携帯電話自体も学生には持てる筈のない金額でしたので、普及していませんでしたが、それでも大きな企業は、ホームページを作り出していましたので、自己流でWEBページの作り方を研究して、各企業に販売をしていました。

 

 

でも必要性がまだまだ大企業レベルでの話題でしかありませんでしたね。今でこそあり得ないページでも高額で売れたので、販売となると学生時代は大喜びです。

 

 

 

 

けれども立場は学生ですので、熱中のピークだったそのころは就職するにも、最初の超氷河期と呼ばれた時代の影が降り注いできたのです。

 

 

 

 

ですが就職では、いくら実績を話しても、相手にされませんでした。どこへ行っても落とされてしまい、バイトで生活していましたが、パソコンの世界では、ようやくインターネットの高速化が始まります。

 

 

 

ADSLの登場です。その頃になると、社会人なら誰もがパソコンが使えて当たり前の世代に突入したわけです。私はすぐにバイトをやりながら会社を立ち上げました。

 

 

 

 

それが現在の前身の会社ですが、組み立て修理を初め、当時のネットの基礎も大体覚えていたので、今度は中小零細企業に、情報端末を含めたすべてのサービスを含め販売先を変えたところ、順調に利益を出せるレベルになってきたのです。

 

 

 

小さい会社ですが無借金経営も自慢です。就職時はそんな技術は流行らないよと言われた大手企業の人事の方と、顧客をめぐり、勝てた時は嬉しかったですね。相手は忘れていましたが、こちらは忘れていませんよ。

 

 

 

立場を変えての商談やコンペもありましたが、所詮企業の中のサラリーマンでしかなかった彼の当時の言葉は、学生をなめていただけだと気づきました。大きく見せた張りぼてというか、サラリーマンはサラリーマンでした。今でも彼は当時の役職のまま年を取りつづけています。

 

 

不労所得を得れる感覚は肌で感じるものだ。

 

今後は、現在の仕事の幅をもっと増やしながら、当時の私に言い放った世代が作ったであろう社会通念を、若い世代が楽に突破できるような、新しい通念を作り上げたいですね。新技術を作るために頑張ったものに対する評価が、この国では低すぎます。

 

 

 

いかに前例どうり事を進ませることが重要で、荒立てない者が出世するおかしい停滞した社会は、何も生み出さない。日本独特の責任逃れを、理論的に打破していく若い世代が生きる道筋のサポートをやっていければと思います。

 

 

 

私の時代にはなかった、サポートを。彼らはまた強い殻らの次の世代を生み出せるように。いまは、私たちの世代よりももっと高度に進んだ情報を当たり前に使いこなす世代が出てきてくれました。

 

 

 

これからは次の世代に期待しながら、小さな会社ですがサポートしていければとつくづく思っております。動かなければ世は変えられない。身を守るあまり動く努力もしないで言葉だけのあやかしを使うなら、力あるものに巻かれているしかない。兵法の一説を今後も守っていきたい所存です。

 

 

 

不労所得について